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 柴田ケイコ「パンどろぼう」シリーズの既刊4冊を読んでみたのをきっかけに、新作『ドーナツペンタくん』を読んでみたのだが、これがめっぽう面白い。

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 年末にタクシーで移動していると、目的地の半分にさしかかったところで、それまで押し黙っていたドライバーが「兄ちゃん、ワクチン打ったぁ?」と口を開いた。窓は換気のためほんの少し開けてくれていた。

 2度は打ったんですけど、2度目で副反応が強く出たから、それ以来なんもしてないんですよ、と私はおそるおそる、しかし語気やや強めの関西弁で返事する。感染症を排外主義の口実とする紋切り型のレイシストや、「コロナはただの風邪」論者との多くの素晴らしい出会いのおかげで、私はいつも野生動物のように警戒を怠らない。けれどもその乗務員はそういう邪悪な道には立ち入らず、ただ「おお、ほんで?どうなったんその後?」と話を続けるよう私に促した。というのも、彼のパートナーはワクチンを接種してからしばらくの間、目眩が止まらなくなってしまったのだという。ふらっふらになって、まともに歩かれへんようになってもてな、何しようご飯つくろう思ても身体が動かん言うて、しばらく出前でな、ものっすごしんどそうやったわ。

 曰く、初回の接種はA社の薬剤で副反応はなんともなかったが、2度目以降、B社のワクチンでは上記の症状が出た。働いている会社の要請で嫌いやながら3度目も接種したがやはり酷い症状が出て、それを訴えても医者は匙を投げて診てくれないし、会社は4度目を打てと言ってきたから、これ以上打てというならお暇いただきますよと告げると、以降は何も言われなくなった。そういうわけで彼は自身の関心から、客を乗せるたびに聞き取りをしている。まったく同様の症状が出て仕事を辞めざるをえなくなった40代の男性を一人、乗せたことがあるのだと言っていた。

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 「ぎんさんは性格がわるい」。90年代に有名になった蟹江ぎんさんのご生前、ものすごい偏見が言われていたことを急に思い出した。子どもの私が見知っていたということは、大人たちが口性無くそのように話していたということだろうし、ゴシップやワイドショーにそういう話があったかもしれない。

 「ぎんさんは根性がわるそうだ」の枕には必ず「きんさんはかわいいのに、」という対比があったと思う。高齢者を「かわいい」「おもしろい」といって消費したり、あるいは「ちえぶくろ」として活用の対象とする仕方はどんどん拡大、普遍化してきたと私は感じているが、これは有り体に言えば「労働力としては無用であるがキャラクター消費はできる」ということで、小泉進次郎安倍晋三が推進した「人生100年時代構想」=「意欲ある高齢者に雇用を提供し、リカレント教育を拡充する(貧乏人は死ぬまで働け)」路線はこの延長線上にある。

 他方、年齢を重ねていることを社会における悪と見做す近年の「老害」言説は、社会保障や医療の介入を受けずに寿命を全うすることを美徳とする「ピンピンコロリ」「畳で死にたい」言説の土壌の上に覆いかぶさる形でその根を伸ばしている。老いること自体を人々に嫌悪させることは生政治を行う上で都合が良いためだろう(これは自宅での看取り推進など、社会保障の削り取りや緊縮、人権に対して市場を上に位置づける新自由主義と大いに関係がある)。生活自立度や自立心の高い高齢者に対して「根性が悪そうだ」というようなレッテルを貼ることや、認知症の周辺症状が発現することを「人生で功徳を積んで来なかったことの応報」であるかのように語る身振りは、現在に連なるそういった風潮の嚆矢だったかもしれない。

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 どうすればケアにかかわる仕事を続けて行くことができるのか、休みながらずっとなんとなく考えている。

 旅行支援事業による宿代割引を利用するために陰性証明を発行する旅行者のほうが、高齢者施設の利用者よりも頻回にPCR検査を受けている。ともすれば、看護師や介護職員よりも医療系でない企業に勤めている人のほうがマトモに検査を受けているようにも見える。それでも、みんな利用者や現場を守るために闘っているから……と思って仕事を続けてきたけれど、いざ自分が罹患してみると、どの発熱外来に電話をかけても「基礎疾患の無い方には自宅待機をお願いしております」と言われて検査もできず、ウイルスを排出しながら39度の体を引きずって都心まで1時間かけて移動し、廃業したラーメン店の居抜き物件であまりにも杜撰な簡易検査を受けさせられて、情けないことだが、言葉もなく疲れてしまった。でも本当はなんとかしてケアのことを考え続けたい。

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ALPS処理水のCMがどう考えてもヤバいので見て下さい。

https://youtu.be/3Xk8Kjfxx84